ぽんたかって何してる人?
箇条書きの簡易プロフィール
- 年齢:1984年生まれ
- 家族:妻、娘2人(6歳、4歳)
- 本業:銀行員(全国転勤)
- 特技:お金のことを分かりやすく伝えること
- 趣味:ゴルフ
- 地方国立大学卒業
- 22歳で新卒で全国転勤のある銀行に就職(地元に配属)
- 27歳で最初の転勤(北海道に配属)
- 28歳で結婚
- 31歳で長女誕生
- 32歳で2度目の転勤(首都圏に配属)
- 34歳で次女誕生
- 人生のある問題に直面し、資産形成を本気で考え始める
- FPとの出会い
- 現在、資産1億円を築く
これまで人生をざっくり振り返ると
「周りの目だけを気にして」
「確たる目標もなく」
「なんとなく平均以上だったらいいな~」
と思ってたいして面白くもなく生きてきた男が、
「必死に将来のことを考え始め」
「本物のFPに出会い」
「資産1億円を築いて」
自由な人生の一歩を踏み出したっていう話です。
キッカケをつかむ前までの自分
昔から周りの目ばかり気にして生きてきました。
「周りと比べてちょっと良ければそれでOK。」「劣っているとひどく落ち込む。」これが今までの自分でした。
・運動にコンプレックス→周りと比べてできない自分に→劣等感⤵
・勉強だけはちょっとできる→周りと比べて出来てる自分に→優越感⤴
・県内トップの進学校→他の偏差値が低い学校に行った人と比べて→優越感⤴
・大学受験で第一志望に落ちる→周りの有名大学に行った友達と比べて→劣等感⤵
・就職では平均年収以上の会社に就職→周りの平均年収程度の人と比べて→優越感⤴
人生の基準がすべて「他人」だったわけです。だからと言って「絶対他人には負けないぞ」とスゴイ努力をするわけでもなく、そこそこ要領良くやれればいいな~そんな風にだけ考えてました。
周りとの比較でしか自分を捉えられない。心から好きで周りが見えなくなるほど熱中するものなんて無い。常に不安の中にいるようなホントにつまらない人生でした。
人生を変えるキッカケになった、義理の母の死
私のプロフィールを紹介する上で家族の存在は欠かせません。
私と妻は地元の大学の同級生で、最初の転勤の直前に交際をはじめ、北海道赴任時に結婚。新婚生活を謳歌していました。
そんな時に、妻の母の具合が悪いという知らせがありました。結婚2年目だったと思います。ちょうど長女の妊娠が分かった頃でした。
病名はB型肝炎。あっという間に病状は悪化していきました。
印象的だったのが、闘病中に帰省した際に空港まで義理の母が見送りに来てくれた時のことです。
義理の母はとにかく寡黙な人で、私とほとんど会話などしたことはありませんでした。
でもその時に限って、私に「また来てね、待ってるよ」と声をかけてくれたのです。その時、既に腹水がかなり溜まり、杖をつかなければ歩けないような状態でした。
死期を悟っていたのか、それは分かりませんがとにかく普段と違う様子でしたので、とても印象に残っています。
それからほどなくして、義理の母は息を引き取りました。まだ50代半ば、長女が生まれる4か月前。結局初孫の顔を見ることもできなかったのです。
義理の母は一人娘(私の妻)が3歳の時に夫を事故で亡くしています。そこから看護師をしながら両親(妻の祖父母)と協力して子供(私の妻)を育ててきた苦労人です。
贅沢な暮らしなどせずに真面目に生きてきた人が孫の顔すら見られずに亡くなってしまうという現実を目の当たりにしました。
私はこの時、心の底から「人生はどうなるかわからない。今を精一杯生きなければ。」と思うと同時に、
「今までの他人をモノサシにした生き方を止めて自分の価値観を大切にしよう。」「そして、お義母さんの分まで生きて家族を幸せにしよう」と心に誓ったのです。
そして今まさに直面している問題
義理の母が亡くなり、妻の実家は妻の祖父母の二人暮らしになりました。どちらも日本人の平均寿命を既に超えています。
二人は幸い自分の娘(妻の母)の死を乗り越えて、今も介護などを必要としないで暮らしているのですが、年齢が年齢だけにいつ介護が必要な状態になるか分かりません。身寄りは私の妻だけです。
そして、我が家には6歳の長女と4歳の次女。まだまだ手が掛かかります。
つまり、普通の家庭では、順番に訪れる「子育て」と「介護」が我が家には同時に訪れたのです。
それに加えて私は全国転勤族。この状態で何も手を打たないまま漫然と過ごしたらどうなるか。
- このまま家族と一緒に会社に言われるがまま転勤を繰り返す
- どこかのタイミングで祖父母に介護が必要な状況が発生
- 妻は二人の子どもと共に地元に帰り、祖父母と同居しながら「介護」と「子育て」に追われる生活
- 私は家族とは離れ離れの単身生活
想像しただけでゾッとします。妻も私も疲弊してしまって、とてもじゃないですが幸せな未来は描けません。ピンチです!
地元でのマイホーム購入と異動の決意
この問題を解決するための方法を妻とも何度も話し合いました。
出した結論は、
- 地元にマイホームを購入すること
- 収入が減るが、全国転勤コースから地域限定コースに異動すること
地元にマイホームを購入
祖父母の家に同居するという方法も考えましたが、日ごろの距離感も非常に大切です。同居はストレスが溜まってしまってかえって良くない。何かあってもすぐに駆け付けられる場所にマイホームを購入するというのがベストな選択だと判断しました。子供も転校を気にせずに学校に通うことができます。
地域限定コースへの異動
そして、いざ介護が始まった時には、私が子育てをサポートしなければなりません。年収2割減という厳しいものですが、家族の幸せを考えた時にはこれも必要な選択です。
そして、地元に戻るタイミングを長女が小学校入学、次女が幼稚園に入園となる2022年4月と決めました。
自身のファイナンシャルプランニング
「住宅購入+地域限定コースへの異動」家族の幸せのための決断ですが、それは同時に「住宅ローン返済+収入源」という金銭面での負担を強いられることになりました。
考えてみるとそれまでの我が家は家計の管理者不在でした。「年収は平均以上だし、必要なもの以外は買ってないし、そんなに贅沢しているわけじゃないから大丈夫でしょ。」という感じで、漠然とした不安を抱えながらも見て見ぬふりをしていました。
しかし、住宅ローンを背負うと決めたとき、「家計管理をなんとなくやること」に底知れぬ不安を感じました。そこで一念発起し、家計管理を本気でやることにしたのです。
これが、ファイナンシャルプランナーを目指す転機になりました。
まずは、家計管理アプリマネーフォワードで収入・支出のすべてを把握できるようにし、年間の変動費、固定費を計算しました。
次に無料のキャッシュフロー表をダウンロードして、今後の年収・支出の推移、家の修繕積立金、車の購入費用、教育費等を計算し、いくらのローンであれば、無理なく払えるかということをシミュレーションしました。
この作業をやっていくと、「固定費をこれだけ削ると、日々の変動費がこれだけ増える」とか、「NISA、確定拠出年金もフルに使って資産を増やすと、老後がこんなに楽になる」とか、「投資信託のポートフォリオはどうすればいいのか」等、どんどんとアイデアや知りたいことが増えていきました。
この一連の作業が私にとっては非常に面白く、家計管理やファイナンシャルプランニングは「科学だ」と感じました。ここまで真剣に自分から一つのものに取り組んだのは、今までの人生ではなかったと思います。
そして、この作業を通じ、人生の計画はオーダーメイドが必須で、世間の「平均年収」、「平均貯蓄額」等の「平均〇〇」は何の意味もないことに改めて気づかされました。
師匠との出会い
家族を守るためにお金の知識をもっと増やしたい!とネットで色々調べていたある日、あるブログで運命の出会いを果たします。
それが師匠との出会いでした。
師匠はFP(ファイナンシャルプランナー)を名乗ってはいますが、これはおそらく他にふさわしい肩書きがないからしょうがなく名乗っているんだと思います。(本人に聞いたわけではありませんが。)
なぜなら、師匠との出会いによって今までの価値観がすべてぶち壊されてしまったんです。私も銀行員のはしくれ。その辺のFPさんと話したくらいでは自分の考え方を変えるまでには至りません。
今までは、
・日本はデフレ。物価はそうそう上がらない。
・外貨はリスク。為替は誰にも読めない。
・ローンを組んでやる不動産投資なんてもってのほか。やってる人は全員騙されてる。
でも今は、
・日本もインフレが起きている。(特に最近はヤバイ)
・一生日本円を稼ぐのに、外貨を持たない方がリスク。
・ローンは信用力。他力を利用しない手はない。
こんな感じで考え方が180度変わってしまいました。
師匠と出会って、将来への不安が100%期待へと変わりました。
今後やっていきたい事
家族のピンチをきっかけにお金と真剣に向き合った結果、師匠と出会い、人生を変える「突破口」を見つけることが出来ました。
資産形成をしっかりやったことで、もう今の会社に無理にしがみつく必要もない、家族と自分最優先で生きていければそれでいいと思えるようになりました。
・将来に漠然とした不安を持っている人
・資産を増やしたいけどどうすれば良いか分からない人
・年収減るのが怖くて、転職に踏み切れない人
こんな人たちに私の考え方や私が実践してきた方法をお伝えして、人生を上向きにするきっかけにしていただければと思います。
そういった情報を公式LINEやブログを通じて発信していこうと思うので、LINE登録お願いします!
そして、リアルでお話できる日を楽しみにしています!